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かくも晴読雨眠な日々
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鬱は決して完治しない。
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未来への希望がなければ生きる理由なんてない

2018/07/31 01:06
ツイッターに流れてきた言葉だけど、
自殺を防ぐのに命の大切さを説いたって無駄。
必要なのは、未来への希望。

未来への希望がないのに
どうして生きながらえなくてはならないのだ?

やりたいことはやり尽くした。
勿論、それは幸せなことだった。

抱えている病はどうせ治りゃしないんだ。
だったら、ここで終わりたい。
これ以上苦しみながら
地獄の業火に焼かれながら
生きたくもない。
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この世の理

2018/07/31 00:58
誰だって、独りで生きて独りで死ぬんだよ。
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あと少しで終わりにできる気がする

2018/07/29 02:34
何かをしようとすると、必ず道を塞がれる。
身体の、それをするのに必要な部分が壊れる。

死ねと言われているとしか考えられないじゃないか。

体験価値で生きられるほどぼくは強くない。
態度価値は、一神教の神への信仰があればこそだ。

やりたいことはもうやり尽くした。
早く終わらせてくれ。

もう少し衝動が強くなれば、
死ぬ瞬間の苦痛への恐怖を乗り越えられる。
あともう少し。
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もうゴールしてもいいよね

2018/07/25 00:50
春以降、何故だか病気がどんどん増えていく。

死に至る病はひとつもないが
活動を大幅に制限されるものが
3つから4つに増えた。

これでは、未来に希望を持てという方が無理と言うもの。

何が体験価値だ!
何が態度価値だ!

まともに動く身体を返してくれ!


希望なんて持てない。
もうゴールしてもいいよね?
そんなことばかり考えている。
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鬱の時は決断しない。ましてや金融商品など買ってはならない。

2018/06/12 14:36
もうね、笑うしかないよね。

伸び切った投資信託を社命で勧めてくる証券マンとか。各国の年金基金が買ってるだと? なんで機関投資家のエグジットに付き合わなきゃならんよ?

FXって何ですか? というくらい無知なのにも関わらず、外貨建ての保険を勧めてくる保険屋のおばちゃんとか。「リクイディティ? なにそれ美味しいの」という詐欺同然の商品じゃないか。

勿論、この人たちは"端末"あるいは"インターフェイス"でしかなく、悪どいのは上層部だけれども。いや、同罪か。自分の成績を上げてご主人様に評価されることが、彼らにとっての至上命題。或いは、無知なるがゆえに善意でやっているのかも知れない。だからと言って許されるはずがない。

ちょっと勉強すれば、こんな見え透いた、顧客を舐め切った手には引っかからなくなる。

けれど、リテラシーがない人はほいほいカモにされる。骨の髄までしゃぶり尽くされる。

鬱を患っている人は特に注意してね。自尊心が落ちているから、相手に押し切られやすくなってる。けれど、

決断力が落ちている時はなにも判断しないこと。

これを思い出してね。元気になってから考えると、そう伝えればいいんだからね。

ご用心、ご用心。
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降りることと抜け出すこと。自由と幸せを手に入れる秘訣。

2018/06/09 10:15
人と比べて差をつけろと煽ることと、不安を煽ること。
これが、モノやサービスを売りつけるための秘訣。
資本主義をドライブするために不可欠な思想のひとつ。

そこから降りる。抜け出す。
魂の命ずることだけを為す。
そうすれば、自由と、ほんとうの幸せとが
手に入るかもね。

なお、資本主義の対立概念はコミュニズムではないよ。念のため。
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今は暴力でしかない母の日、父の日にさりげない優しさを

2018/05/13 13:00
母の日も父の日も、ただの商業イベントだ。
クリスマスやバレンタインと変わらない、売り上げを増やすために仕組まれたただのイベントに過ぎない。
参加するのは個人の自由。
参加して楽しむも良し、参加しないも良し。
嫌なら参加せず、生暖かく見守っていたらいい。
僕の持論はずっとこうだった。

けれど、自分が弱っていて、かつ淋しいと、これはやっぱり暴力になる。
マジョリティによる暴力だ。
マジョリティに自覚がない分、さらにたちが悪い。

煩いよ。お前らは家族がいていいよな。
子どもならプレゼントをあげる親がいる。
親ならプレゼントをくれる子どもがいる。

どちらもいない人たちのことを一顧だにしないイベント。
サイレントマイノリティの存在に気づきもせず、彼らを排除していることに気づきもせず、無邪気に楽しみながら、彼らの心をえぐるイベント。

けれど、例えばこんな風にすれば、一転して優しいイベントになる。
「親御さんのいない人も、亡き人を思い、ありがとうの言葉を贈る日にしませんか」と。
そういう人たち専用のアイテムを用意する必要なんかない。
わざわざ白いカーネーションなど売るのは不粋もいいところだ。
そうでなく、その言葉で以って自然に参加を促す。
普通のカーネーションを、前述の言葉とともに普通に買ってもらう。
親がいないんですと、口に出して言う人には、
「天国の親御さんに想いはきっと届きますよ」
と、店員がさりげない優しさを示す。
それだけで十分なのだ。

さりげない優しさをそんな風に示すことができることが、粋というもの。
偽善だっていいんだよ。
それだけで、この社会が少しだけ優しいものに変わるはずなんだから。
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