テレビで映画を見るコスト

久しぶりにTVで映画を何本か見て感じたこと。

CMで集中力を削がれるのがうざいという感想だけでは、中2の作文か(笑) 久々に民放の長時間番組を見たわけだが、こちらが主体的に見るのでなく、見るようにし向けられているような窮屈さを覚えた。

TVというのは初めにスポンサーありき。コンテンツよりもCMをいかに見せるかという観点で番組が設計されている。映画が盛り上がったシーンの途中で切れる、或いは「正解はこちら」という台詞の直後にCMが唐突に割り込んでくるのはそのためだ。続きを知りたい視聴者は画面の前を離れられず、まんまとCMを見る羽目になる。

一度、二度ならまだしも、毎度毎度これだと、疲れてしまう。なおかつ、映画は長丁場だ。

もちろん、TVで映画を見るメリットもある。コンテンツに課金されないこと(タダ、と言う言い方はここではしない)。それから、様々な映画が放映されるから、自分が知らなかった名画に出会えるチャンスがあること。

それでも、鬱持ちの身にはTVの窮屈さが辛い。余計にお金を払ったり、移動のコストがかかったりしてもいいから、映画館へ行くかビデオを借りて見た方が、気が楽だ。

(…CATVの契約をしてしまえばいいとこ取りができるかも、という悪魔のささやきは、取り敢えず聞かなかったことにする。)

高金利通貨の落とし穴

トルコリラ建の債券が発売中なんだそうだ。

年13.50%。

米国のゼロ金利政策による円高を和らげるため
日銀が政策金利を引き下げ、0.1%とした現状では
破格である。

が、素人が高金利に目がくらんで飛びついたらダメだ。

ある通貨が高金利である理由は、一般的に
・何かしら負の要因がある時に外資を引き留めるため
・インフレ率が高いため
のどちらかだとされている

外資を引き留めるために高金利にしている国は
国内における資金の調達が困難となり
(金利が高く、個人や企業が借金を控える)
さらに経済が悪化するジレンマがある。

もともと地政学リスクや政情不安、
国家の信用リスクなどを抱えている可能性も高い。

インフレ率が高ければそれだけ購買力が下がる
つまり通貨の価値が目減りしていくということだ。

まして、トルコリラのMMFがあるわけでもない。
最大のリスクは流動性リスク。
現金(のようなもの)に替えて
プールしておくことができないというのは
何らかの事情で債券を売らねばならなくなったとき
強烈に円高(トルコリラ安)に見舞われていたら
大損するという意味である。

償還になったときに円高だったら
新しい債券を買えば良いかも知れない
だが、また何年も塩漬けになる。

トルコリラで運用していいのは
よほど事情に明るい人か
またはギャンブラーだけだ。

トルコとはどんな国なのか?
気候は?
歴史は?
文化は?
国民性は?
政治は安定しているのか?
人口分布は?
経済状態の現状と過去の変遷は?
主産業は?
金融政策は?




円高が進んでいるから
実は銀行に預けてある円の預金が
他通貨に対してどんどん増えている。
外貨に関心のない人には
今ひとつピンとこないだろうが
放っておいても儲かっているのだ。

だから、高金利な金融商品に
焦って飛びつかなくてもいい。
円高のメリットが、これからやってくる。

ペイオフが心配な場合は
なるべく財務状態の良い複数の銀行に分けて預ける。
大手銀行でも、米国の投資銀行に
大金を貢いだところは、どうなるか分からない。

個人向けに「決済用預金」を作ってくれる銀行もある。
残高に関係なく、全額が保護される。
利息は付かないが
ほぼゼロ金利になってしまったから
どうということはない。

というようなことを前に書いた気もする。
繰り返しになってたらどうぞご容赦を。

受験戦争の弊害

アカデミズムで一定のパフォーマンスを上げてきた者と
アカデミズムの名において虐げられた者の間に
越えられない壁を作ってしまうこと。
受験戦争の弊害の1つだ。

アカデミックな話題を持ち出すと
前者は、自分の専門分野でなくともなんとか理解しようとする。
後者は「自分はバカだから」の一言で投げ出す。

拒絶されたようで、寂しくなることがある。

凡人のジレンマ

出る杭は打たれるが
出過ぎた杭はもはや打たれぬ。

「普通の人」になろうとするな。
「普通の人」に気兼ねするな。
変人で構わない。
狂人と呼ばれるくらいでちょうどいい。

「普通の人」になぞ褒めてもらわなくて上等。
先駆者になろうとするなら
普通の人の常識に照らした評価なぞ無意味。

俺はただ道を造ればいい。
気付いた奴だけついてくればいい。
考えてみたら、ずっとそうして道を切り開いてきた。

本当の英雄ならば、ここでうまく立ち回るんだろうが
凡人の自分には、自分の道を進むことくらいしかできないな。
今はただ、本を紐解いてひたすら学ぶのみだ。

インフレ? デフレ?

まず、歴史が教えるマネーの理論(飯田泰之、ダイヤモンド社)を参考にしつつ
貨幣と物価の関係を考えてみる。

貨幣数量説

物価水準(P)は貨幣の量(M)に比例する。
kを比例定数とすると
P=kM

貨幣として金を用いている場合、新たに採掘されり域外から流入したりして金の量が増えれば、金の価値が下がり、同じ重量の金で買うことのできるモノ(財)の量は少なくなる。つまり、物価は上昇する。

逆に、金が工芸品や建物に大量に使われたり、海外との貿易で金が流出したりすれば、金の希少性は高まり、物価は下がる。

だが、これでは量的緩和がなされた1990年代後半以降の日本経済を説明できない。この時には

量的緩和=貨幣の量の増大

がもたらされたにも関わらず、デフレ、すなわち物価水準は低下した。

そこで、別の要因を考える。

物価をP、1年間に交換された財の総量をQ
交換に用いられた貨幣の量をM、貨幣の回転率をVとする。

このとき

PQ=1年間に交換された財の総額
MV=それに対して支払われた貨幣の総額
であるから

PQ=MV

が成り立つ。よって

P=MV/Q

両辺の対数を取ると

logP =logMV/Q
=logM -logQ +logV
これを時間について微分すると、ぶっちゃけ

インフレ率=貨幣の増加率-経済成長率+貨幣の流通速度の変化率

ということになる。

貨幣が増加し、経済成長がマイナス(生産される財が減る)であれば
本来インフレになるはずだが
貸し渋り・貸し剥がし或いは、設備投資や消費の減少する状況があると
カネが回らず、結果デフレにもなり得るということだ。

さて、現在の世界情勢は

・公的支援により通貨、特にドルの大量供給がある。
 ところが
 銀行が供給された貨幣を融資せず、自己資本の増強に充てている。
 また、リスク資産を手仕舞ってキャッシュを手元に置く動きが大きい。
→貨幣の増加率が抑制されている(±)

・経済が失速しつつあり、世界全体がマイナス成長となる可能性もある。
→経済成長率(±)

・投資も消費も冷え込んでいる。
→貨幣の流通速度は減少基調(-)

ということで、投入された貨幣が当局の期待ほど市場に出回らず
むしろデフレ圧力の方が高いらしい。

が、不良債権問題の片が付けば、ある時点で貨幣が余るようになる
→猛烈にインフレが進む可能性
或いは
→貨幣が資産への投資へ回って、東アジアバブル、環境バブルになる可能性

単純に書けば以上の如き話になるようだ。

が、威信低下の避けられないドル、ユーロと
経済状態の比較的ましな日本円とでは、また話が違ってくる。

さらに、本位通貨としての貴金属(金)を考えると
情報が錯綜してもう何が何だかという感じだ。

May the Force be with you.

キリスト教原理主義の国で育ったジョージ・ルーカスは
最初こそヤ○ウ○という人格神から入ったんだろう。

だが、「世界に張り巡らされた何か大きな働き」を
体感できたとき
そこには人格は備わっておらず
「身体の復活」を信じることをはじめとした
教義にも束縛されない
ことが解ったのではないか。
そしてそれを
"Force"と名付けたのではないか。

と、ふと思った。

生と死と

フィンランドの北、ラップランドの小さな村に小さな博物館がある。
そこで、Carrion についての展示を見た。
Carrion とは、死骸のことだ。

厳冬期に雪原で倒れた動物の死骸は
他の多くの生き物たちの餌となる。
ひとつの死が、別の命に変わる。

自分といういのちの働きがほどけ
形を失ったとしても
自分を構成していた原子やエネルギーの
あるものは世界に拡散し
あるものは、別の命に宿る。
世界という総体で考えれば
失われるものは、実は何もないのだ。

どうやら
生と死は、本当に等価なものらしい。

ぬくぬくとした環境で考えているから
甘っちょろいかも知れない。
世界のもうひとつの性質
「万物に対して無慈悲である」
に直面したら
やっぱり泣き叫ぶのかも知れないけれど。