元日営業する大規模小売店やショッピングビルを紹介するmixiニュースに対し、否定的な意見がいくつも寄せられている。
結局のところ、元日営業する企業の経営サイドの多くは定見を持たず、付和雷同的に行動しているに過ぎないのだろう。よそが元日も店を開けるなら、うちも。よそが休業するなら、うちも。確たるポリシーもなく、風見鶏的に決断しているだけ。現場はたまったものではない。
不便をお互いに我慢することで、皆が余裕を持てるようになる。社員にはしっかり休んで鋭気を養ってもらった方が、士気は上がる。日銭を稼ぐことに汲々とせず、お互い様意識を持ち、大局的視野で考えられる経営者であれば、元日営業なんて馬鹿な真似はしないはずである。
いろいろともどかしい。
ウェブ上で様々な提案を行っても、ごく一部の近しい人しか読んでくれない。声を届けたい多くの人に届かない。ただし、このブログのことではない。このブログはずっと自分のために書いているから。読んでくれる方がいるのは分かっているし、勿論、ありがたいことではあるのだが、モチベにはあまり影響しない。
どうやら、ぼくは「あの世」での修行を終えて「この世」に戻ってきたらしい。その成果を示し、多くの人を救うためには、今度は「この世」のやり方を学ばなくてはならないらしい。いかに耳目を集めるか。いかに人心を掌握するか。いかに手を貸してもらうか。いかに統率するか。そして、いかに金を回すか。
面倒臭いなあと思う反面、「探求者」の血が騒ぐような気がしないでもない。
そうそう、ぼくはこれまで、自分の本質を「旅人」と定義してきたが、本当は「探求者」だと気付いた。詳しい説明は、気が向いたら書くことにする。
時雨が降る。天気予報によれば、東京は最高気温と最低気温がどちらも11℃なんだそうだ。気温の推移を示すグラフは、1日中10.x℃の横ばいになっていた。
今日はなんだかしんどい。珍しくMPが枯渇している感じがする。ふと、15年前の冬のあの日を思い出した。やはり1日中降り続いた雨は、時雨と言うより氷雨だったのかも知れない。鬱のために寝たきりに近い生活をしていたぼくは、点けっぱなしのラジオに耳を傾けながら、ベッドの中で夢と現を行ったり来たりしていた。
でも、さ。本当はあそこで死んでたはずなんだよな。
それを考えたら、あれから15年、いや、じきに16年になるか。そんなに長い年月を生き存えたんだもの。そして、魂の震えるような体験を何度も何度もしたんだもの。
儲け物と言わずして何と言う?
だから、あるがままを生きよう。辛いなら、その辛さをただ味わえばいい。冬の寒さに耐えながら、春を待てばいい。時間がかかってもいいじゃないか。待てずに逝くなら、それもまた妙。次の旅に向かうだけのことだ。
Waiting for spring...
「なんだか毎日生きるのに精一杯で何もできていない気がする」
と思ったところで、はっと気付いた。
今日は日のあるうちに自転車で市内を走り、写真を撮ってきたじゃないか。澄み切った空の下、夕暮れ時の美しい風景に心震わせてきたじゃないか。
うっかり「一般化のしすぎ」の罠に落ち込むところだった。「一般化のしすぎ」とは、自分にとって良くないと思える事柄に意識が向かいすぎて、他の良いことが見えなくなってしまうこと。Papez回路を通じた信号のリエントリーがいつまでも続き、嫌な感情がいつまでも続く。
対策としては、まず「認知の歪み」を見つけ出すこと。そして、合理的な反論をすること。それだけで劇的に良くなることが多いが、そうならないこともある。その際は
・1人でいるのを避ける。
・ジョギング、自転車、エアロビ、登山など、息が切れるような運動をして思考を止める
など、意識を一旦離すことで、Papez回路へのリエントリーを断ち切るのが良いのだろう。
どうにもならない情況、例えば深夜なら薬を飲んで寝てしまえ。
酷い感情を抱えながらネットの海を彷徨い続けることが、一番良くない。
1.
人と人は、与え合えば生きる力が増える。1+1が3にも4にもなる。
寂しいからと自分が愛されることだけを求め、与えられるがままに貪るのはブラックホール。1+0は1でなくゼロだ。手元に何も残らず、相手は消耗してしまう。友人なら、付き合いきれないと離れることもできる。けれどカップルの場合は、知識や経験のある大人や専門家に助けを求める術を知らなければ、共倒れになりかねない。
どうしたら愛されるかではなく、誰かのために自分は何ができるのか、考えようよ。
2.
季節が変わったのに、それを認めようとせずしがみ付いていても惨めなだけだ。歳を取れば、これまでの成功法則は通用しなくなる。人生経験を積んだあなたなら、別のやり方で誰かを幸せにすることは可能なはずだ。
愛される方法ではなく、愛する方法を考えよう。
小寒が過ぎ、じき大寒だ。既に寒さの厳しい時期に入ったが、3月前半まで、これが2ヶ月ほども続く。
外へ出れば激烈な寒さに体力と気力を奪われ、寒さを避けて穴蔵同様の実家に引きこもれば、太陽の恵みを受けることもできず、なおかつ、世界と切り離されたような錯覚に陥り孤独を深めてしまう。
今年はここに肉体の疲労が加わっている。フルタイムで働く世の中の人と比べたら、大したことはしていない。自転車で毎日、或いは1日おきに片道20分の距離を走り、友の居る病院へ。頼まれた用件をこなす。ただそれだけのことなのに、疲労が蓄積して、十分に眠っても疲れが取れなくなってきた。起きてから動けるようになるまでに2~3時間ほどもかかる。
こんな状況で未来への不安を喚起するような事態が2つも発生すれば、荒ぶってしまうのが道理というものだ。
お金のことと、先の見えない恋愛。
…と書き出してみて、何だか可笑しくなってしまった。
なんだ、ヒトとして当たり前の心配事じゃないか(笑)
自分の生存に直結する道具のことと、伴侶のこと。
表層では達観し諦めたようなことを考えたり、或いは口走ったりもするが、根源的には、ぼくは生きたいのだな。そして、幸せになりたいのだな。
願いが強いが故に、不安という形を取って現れる。また、温暖な気候とお金、そして配偶者という、自分の力だけではどうにもならないもの、すなわち「求不得苦」という現状への強い不満が、破壊衝動という形でわき上がってくる。つまりはそういうことだったんだ。
相手が「求不得苦」(=ままならないもの)では致し方ない。ここはひとつ、時機を窺うことにしよう。今は肉体の健康維持を最優先に考える。睡眠と食事、そして、運動は嫌ほどしているから肩こり対策。インフルエンザが猛威を振るう時期でもあるが、罹ってなんかやらない。
無論、冷静になる必要はない。荒ぶるものは荒ぶるに任す。生きたい、幸せになりたいという願いそのものなのだから。あるがまますべて引き連れ、時が満ちるまで凛々しく、そして無様に歩み続けるとしようか。
例年通り、真冬が牙をむきはじめた。今日は正午近くになっても空気が激烈に冷たく、午後から夕方にかけて断続的に雪がちらついた。
寒さに当てられたせいか、気持ちが若干「黒い」。真冬にお決まりのあの絶望が、またぞろ頭をもたげてきた。
家の外も中も、寒すぎる。エアコンは霜取りばかりして暖まりやしない!
ただでさえ狭いキッチンを、暖房効率を高めるためにカーテンで仕切ると、世界から完全に隔絶されたような気になる。ひとりぼっちで置き去りにされた気がする。誰も助けてくれるはずがない。そして、いずれお金がなくなってのたれ死ぬのだ、と。
桜が咲くまであと3ヶ月と言われても、ピンと来ない。寒いものは寒いし、辛いものは辛い。そうした感情が、将来への不安に油を注ぎ、大きく燃え上がらせる。
だったら、それをそのまま感じておこう。認知療法で認知の歪みを見つけ出して修正してやる方法もあるが、辛い気持ちをあるがまま噛みしめるという方法だってある。薬を飲んで布団にもぐりこむのもアリだし、感極まった時は、壁を殴って手を傷だらけにしてやろう。
辛い夜も、辛い季節も、いつしか過ぎ去る。
それまで刻を、日々を、ただ重ねていけばいい。
何度だって「晴読雨眠な日々」に立ち戻り、そこからまた始めたらいい。
Time goes around.